有限会社依田石材店

リフォーム例

甘露山 宝養寺 (曹洞宗) 明応五(1496)年に、倉見の豪族であった河村越前守藤原秀盛は、宝鏡寺二世聖典義賢和尚に師事していた天融義通和尚の報徳に慕って布教伝導の師となることを要請、義通和尚は白山神社の西側にあった、宝蓮寺に足を止めて布教に努めた。  その後、宝蓮寺と合併し、一堂を建立宝祐寺と改号した。 寺記では、この義融和尚を開山としている。 寛政十(1798」年、後に宝鏡寺の二世となった貴翁牛尊和尚の代に、現在地に移ると共に、寺号も甘露山宝養寺に改められた。
甘露山 宝養寺
TEL 0555-25-2317
本尊は、阿弥陀如来
石雲山 長得院 (曹洞宗) 大永元(1521)年、真言の道場として創立して、寺名を石雲院と称していた。 天文二十三(1555)年白外和尚が住職し、 元和元(1615)年、筑後守の再興によって長得院と改称する。  寛永五(1629)年に、根外竜道和尚を請けて開祖とし、旧号をもって山号とし、石雲山長得禅院となる。  前庭に大きな古松があるが、名称を「根外竜道の松」として称し、改宗した開山様の名をもらい名づけられた。
石雲山 長得院
TEL 0555-25-3326
本尊は、地蔵菩薩
常照山 佛眼寺 (曹洞宗) 当山は、駅前の欄干川を渡ると、高さ四・一メートルの大きな萬霊塔が目に入る。これは明和三(1766)年の銘がある。  佛眼寺は、もと寺野の地に護満長者の持仏堂として建てられたとして伝えられている。由緒によると、文明年間(1469〜87)下暮地に某長者がおり、屋敷の西北に佛眼庵という仏堂を創祀していた。班室長虎という僧によって天台宗の寺院に改めたが、天文十三(1544)年五月大雨によってすべて仏之沢に流されてしまった。寛永三(1626)年に融山宗祝和尚によって現在地に堂宇が建立されまして、宝鏡寺末の曹洞宗寺院としてひらかれた。
常照山 佛眼寺
TEL 0555-25-2437
本尊は、阿弥陀如来
不二山 一乗寺 (臨済宗妙心寺派) 開山は本如実性景川禅師。開祖は、笑山西堂和尚である。当山は二度の火災に遭っており、貞享四(1687)年の火災では、本堂、その他の伽藍を全焼し、中興の鳳谷和尚によって再建され、寺号も永興寺から一乗寺と改めた。  明治三十七年の火災では本堂から出火、山門、鐘楼を除いて焼失した。現在の本堂は、当時、西桂小学校として使われていた旧永明寺本堂を移転、再築したものである昭和二十五年に、三本松地蔵堂再建。 昭和三十九年、旧品第寺本堂を移転して書院として再建する。 旧七月二十四日 三本松地蔵尊の祭典
不二山 一乗寺
TEL 0555-25-2031
本尊は、延命地蔵菩薩
宝冠山 福善寺 (浄土真宗本願寺派) もとは、真言宗の寺院であったが、了中法師の時に本願寺中興の祖蓮如上人の徳に宗旨を、浄土真宗に改めたと伝えられています。かつては、明見(富士吉田市大明見)の阿曽谷にあり、その名を行満寺と称し、その後、三浦寺、福仙寺と名を変え、今から 450年ほど前に現在地に移った。  現在の本堂は、明治三十七年小沼の大火によって焼失したため、大正六年に再建されたものです。  旧山門は、谷村城主鳥居土佐守成次の時代に谷村城に建てられた物を、秋元氏の時代になって払い下げを受けて山門としたと伝えられる。
宝冠山 福善寺
TEL 0555-25-3366
本尊は、阿弥陀如来
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